犬山高校のあゆみ      戦後までの制服のこと

昭和までは、カメラは非常に高価なもので、現在のように気軽に買えるものではありませんでしたし、
だいたいが、フィルムですから、一枚撮るごとにフィルム代と現像代がかかってきます。
だから、写真を撮る、撮られるというのは一種、ハレの場でありました。
どれほどカメラの値段が高かったか、一般にカメラが出回る、昭和30年代ぐらいから、みてみましょう。

年代 カメラの機種 値段 愛知県高卒初任給
 昭和25年   Ricoh flex V 5,800   
昭和30年  Taron35 T 13,00 5,900
昭和32年  Mamiya35 U 19,800 6,300
昭和33年  NikonS3f2 71,500 6,300
昭和39年  Canon Demi2 19,100 13,200
昭和43年  Konica C35FD  32,200  20,076

大体、一般的な大衆的なカメラが、一ヶ月の給料以下になるのは昭和50年代を待たなくてはいけません。
昭和中期ですら、これぐらいなのですから、明治、大正時代は本当に珍しいものだったわけです。
犬山高女を写した写真があまり残っていないのも、仕方がないことでしょう。

犬山高女の写真の多くは記念写真です。
記念日はハレの日ですから、身ぎれいにして、ちょっとポーズをつけて、といった写真になります。

大正7年の犬山高女生。記念写真らしく写っています。
上着はまちまち。
袴は白線二本の正統的犬山高女の格好です。
「えび茶袴に日より下駄」というのが、当時の犬山高女のスタンダード。

これがえび茶色です。三菱鉛筆の色を想像する感じ・・。

上着も統一されました。上着は犬山絣。作法の授業か。

大正3年に突如、セーラー服になります。
帽子もあったようですが、かぶっていません。
ひどい不況でセーラー服は帽子とともに14,5円で、そんな高価なものは買えないということで、
多数の退学者が出る騒ぎになりました。
真ん中の生徒は手がだらんと両方にたれていますが、
当時は意外にこういうところを気にしていなかったらしく、たとえばこんな感じです。

犬山町立犬山高等女学校が愛知県立に移管されたときの記念写真。

記念写真なのに、最前列で足を組んでいるんですよね。
こんなものです。

話を元に戻しましょう。
大正3年にセーラー服になりましたが、
「これだっ」という形のセーラー服が決まっていたわけでなく、
いろいろな形のセーラー服があり、それでよかったのです。
(昭和31年に統一されました)
記念写真なんかを見ると、確かに全員セーラー服を着ています。
でも、日常的にセーラー服を着ていたのでしょうか。
ひょっとしたら、式などの記念の時だけ着ていたのでは・・・。
今となっては当たり前の毎日の制服・・。
実はこんな写真があるのです。

犬山高女本館の教室。書道の授業です。
数人、セーラー服ですが、私服の生徒多数。
戦争前であることは確かなのですが、詳しい年はわかりません。
教室の内部が写っている珍しい写真。
ともあれ、こんな時もあったのです。

戦時中はスカートがもんぺになります。
戦局悪化に伴い空襲時の防空用に女性への着用が義務付けられ、半ば強制されました。

戦時中の集合写真。全員もんぺ姿。

上記写真を拡大してみた。
いろいろなもんぺ。ただし、全員靴を履いています。
腕に腕章をつけている生徒(学徒動員隊のもの)をつけている生徒もいます。
先生の中には、国民服の帽子をかぶっている人も・・。
もう一枚、戦時中の写真。

全員もんぺ。

ただし、足下はまちまち。普段はこんな感じだったのでしょう。
日より下駄あり、草履あり、靴あり、足袋ありです。

戦後すぐの高女生。(昭和23年に卒業した生徒たち)
スカートかズボン(もんぺではありません)。

この後、急激にズボンはなくなり、見慣れたスカート姿となります。
いかにも記念写真。

では、先生はどうかというと、戦争直後の先生の記念写真。

真ん中の足をいすの中に入れちゃっている人物が、第11代校長 長峰 宏先生。
昭和21年1月の写真です。
ほとんどが背広にネクタイですが、最前列左の先生は着物姿です。
女性の先生も着物の人がいます。
先生の服もこのころを最後に和服姿は姿を消します。

さて、では、戦後入ってきた男子生徒なんかはどうかというと、こんな具合です。

服装から言いますと、生徒は下駄ばきおかまいなし、職員の服もアメリカの中古上衣あり、軍服のズボンあり、国民服の着古しありで、色とりどり思いのままでした。

異様であるといえば、服装もマチマチで、女子はモンペ、男子は黒・紺・国防色(カーキ色)の服で下駄・靴・運動靴と変化にとみ、上履はわらぞうりが大半だった。

    「七十年の歩み」より

下駄を履いて登校し、校舎内ではわらぞうりを履いて過ごしたのでした。